p01


「ミトノート」は、茨城県の県都である水戸市の魅力を伝える冊子です。水戸市民が誇りに思う「場所」や「もの」を1号につき、ひとつ、特集のテーマとして取り上げ、そこにかかわる市民の暮らしぶりや考え方を通じて、水戸の良さをより深く伝えていきます。
第2号となる今号では、「水戸のやさい・くだもの」をテーマにお届けします。

p02

水戸のやさい・くだもの

豊かな水資源と肥沃で平坦な土地、温暖な気候に恵まれた水戸は、農産物の宝庫です。他の地では例を見ないほど、じつにたくさんの種類の野菜・果物が、市内の農業生産者によって栽培・生産されています。JAの直売所は市内に5つもあり、また、農業関連の専門学校が2校あるのも水戸ならでは。商業施設が建ち並ぶ市街地のすぐ外側に、広々とした畑や田園風景が広がる、それが水戸の魅力のひとつです。

[特集]水戸の暮らし名人

[特集]水戸は、やさいの王国・くだもの天国

 

p03

夫婦ふたりの理想の農園、
夢のカタチ。

──水戸の西のはしっこに生まれた小さなオーガニック農園の物語。

 

水戸市の西の端、五平町に、無農薬・有機栽培にこだわる小さな農園がある。経営するのは、30代の若い夫婦だ。ふたりは、自分たちが理想とする農園を開くため、茨城県外からわざわざこの地を求めてやってきたという。なぜ彼らは水戸を選んだのか、農園を訪ねて話を聞いた。

「この小屋は、妻が単管パイプを組み立てて建てたんです。最後だけ僕もちょっと手伝いましたけど、ほとんどは妻ひとりで」

8月初旬のある日の早朝。自分たちの農園を案内しながら、原田悠士さんがさらりと言う。指差す先にあるのは、鉄のパイプで作られた高さ2メートル以上もある大きな小屋。え、え、これを女の人の手ひとつで? 驚くこちらをよそに、原田さんは涼しい顔で続ける。

「なんか、そういうものづくりがそもそも好きなんですね、妻は」

福岡県北九州市出身の原田さんと東京都出身の妻の鎭目紋子さんが、水戸市の西の端にある五平町で「しづはら農園」を始めたのは、今からおよそ4年前のこと。約2ヘクタールの土地は、このあたりで長い間放置されていたかつての農地を、数軒から借り受けて耕した。妻の鎭目さんが振り返る。

「このあたりは、皆さん土地を持っていても、もう畑は長いことやっていらっしゃらないという方が多くて、〝それなら草取りついでにぜひ使ってよ〟という感じで、お借りするのはスムーズでした」

夫の原田さんが続ける。

「しかも、前に使っていた方々が大事に畑を作られていたので、土が最初からよい状態のところが多くて。僕らは恵まれてました」

その土地で、ふたりは農薬を使わない有機農法に徹底してこだわり、年間を通じてさまざまな種類の野菜を作付け、育て、収穫していく(この一連の作業を「畑を回す」というのだそうだ)。収穫のない月は、1年で4月だけ。残りの11か月は、ハウス栽培も含め、真冬でも畑を回していく。

取材で訪れた8月には、トマト、茄子、胡瓜、バジル、ねぎ、オクラなどが収穫時期を迎えていた。畑に目を向ければ、どの作物も、じつに力強く堂々とした姿で葉を太陽に向かって広げ、美しい色の実をつけている。

よく見ると、それらの作物は、ふだんスーパーなどで目にするものとは少し違う形をしているものが多い。たとえば茄子は、丸い形の「賀茂茄子」のほか、縞模様に薄緑のヘタの組み合わせが美しい「縞茄子」や細くて愛嬌ある形の「ひも茄子」など計5種類がなっている。胡瓜は、きれいな薄緑色をしていて、長いトゲが付いた「四葉胡瓜」、オクラは六角形ではなく角のない円錐形で、ヘタのまわりのガクの飾りが可愛らしい「丸オクラ」が食べごろを迎えている。

無農薬で、多品目を少量ずつ周年栽培する──これが、しづはら農園のやり方だ。1年間で育てる作物の種類は、なんと60品目以上にのぼるという。

p04

水戸は土質がいいから、
どんな作物でもできる

しづはら農園で収穫された作物は、市場には卸さず、半分は個人のお客さまのもとへと宅配され、残り半分は、数軒の契約飲食店・小売店へと売られる。原田さんが説明する。

「市場に卸す野菜には、流通や業者間の取り引きのための厳格な規格や価格が適用されるんですね。だから、味や多様性にこだわっていくのは難しい。僕らがやりたいのは、自分たちのお客さまに、何より〝おいしい〟野菜を提供すること、同じ野菜でも複数の品種を作って、多様な価値や魅力を楽しんでもらいたいという想いが最初から強くありました」

多品目の野菜を栽培することには、水戸の環境も大きく味方しているという。

「そうです、水戸というか、関東平野全体がそうですが、土質がとてもよくて、たくさんの作物に適するんです。作土(作物の根が伸び広がる表土)も深くて90センチくらいある。気候は、寒すぎず暑すぎずで、多くの農作物が過ごしやすい温度の範囲で1年がめぐっていく。しかも、朝晩の寒暖差はけっこうあるので、野菜に味が乗りやすい。こういう好条件の土地だから、水戸で採れる農作物は種類がとても豊富で、野菜はもちろん、果樹もいろいろ、あと畜産も、肉牛、豚、鶏がいて、卵もあって。こんなにいろいろな農家がいるところって、全国でも少ないと思いますよ。水戸に来ていちばん驚いたのはそこですね。ほかの多くの所では、皆でひとつの作物をやろうと決めて、栽培から販売、ブランド作りまで協力し合って、市場で価格決定権を持つようにするんですけど、ここではそれぞれ好きにやる人が多い」

鎭目さんが付け加える。

「だから、新規就農する人には、やりやすい土地なのかもしれないですね、ここは。みんなそれぞれだから、あなたたちもどうぞご自由に、みたいなところがあって」

p07

全国を回り、最終的に選んだ水戸の地

そもそもふたりはなぜ、水戸の地を選んで農園を始めることになったのだろう。話は、10年前、ふたりが山梨で出会うところまで遡る。

「彼は山梨の小さい農業法人のグループにいたんです。そこが主催する夏のイベントに農業体験もあって、私はそれに参加して生まれて初めて農業を体験したんですね。そのとき個人的にいろいろと思うところがあって、その後3年ほど定期的に参加してました。山梨で農業に触れたことで、そういう道もあるんだということに気がついてしまって」

じつは、絵描きとしての顔も持つ鎭目さん。幼いころからものづくりが好きで、美大に入り絵画科を専攻していたが、「ものづくりと自分との関わり方を考えるなかで、生活と一体化しながら行える野菜づくりが、いちばん自分で納得できそうに思えた」ことで、農業に心を寄せていく。

その後、原田さんはより平地で行う農業を目指して山梨の外へと目を向ける。そのころまでには、パートナーの鎭目さんも、原田さんと一緒に農業に就く決心を固めていた。

こうして彼らの農園のための土地探しが始まった。長野、神奈川、千葉、京都と、ふたりで東へ西へと足を伸ばして土地を探し、最終的にここ茨城に照準を定める。鎭目さんが振り返る。

「茨城に決めたのは、気候がよくて災害が少ないこと、加えて、首都圏が近いという魅力も大きかったですね。農業にとって物流はとても重要なのですが、茨城は消費地が近いので、収穫したものを、より早く、いい状態で、お客さまに届けることができるんです。それと、お客さまと私たちが同じ季節を共有できるということも大事なことかなと思います」

当初は茨城と栃木の県境くらいの土地に決めかけたが、土壇場で住む家がみつからず、さてどうしようとなったとき、水戸市内原にある鯉淵学園(公益財団法人 農民教育協会 鯉淵学園農業栄養専門学校)で、1年間、畑の有機認証のための管理人をつとめないかという誘いが舞い込み、ふたりは水戸に移り住む。

水戸で籍を入れ、学園の社宅に住み込んだ彼らは、畑の管理を行いながら、週に数回、計5軒の農家の畑に通い、精力的に研修をこなして、野菜づくりの知識・技術を貪欲に吸収し、自らが目指す農業のスタイルを見極めていく。そして、ほどなく学園の近くに住家と農園用の土地を見つけ、2010年の3月、「しづはら農園」が誕生した。

p08

住み続けることで、その良さがわかる

水戸に暮らすようになって、4年。今、ふたりはこの地にどんな印象を抱いているのだろう。原田さんが口を開く。

「水戸はすごく特別なものがあるわけじゃないから、派手さはないかもしれないですね。住み続けて良さがわかる土地だと思う。どこまでも広い土地、気候もよくて、住みやすい」

鎭目さんが続ける。

「イオンの大きなショッピングモールから少し入ると、うちの農園があるっていう、それが水戸ならではだと思いますね」

原田さんが言葉を継ぐ。

「そう、飲食店や小売店さんが農園の近くにあるのもすごく便利で。契約店の方が週1、2回、直接野菜を取りに来てくださるので、そのときにダイレクトに言葉を交わすことで、僕らは正確なマーケティングができる。今、少しずつ加工品も試しているんですが、やはりお店が近くにあるから、小ロットで少しずつ試してもらえるんですね。直接会って互いに理解を深めながら、一歩ずつ進めていけるというのが僕らにはすごくやりやすくて」

「水戸に来てよかった」と語るふたり。「縁があったね」と声をそろえる。

これからも、農業を通じて彼らにもたらされるさまざまな縁やつながりを大切にしながら、「つねに使う側の視点を忘れず、自分たちの目の届く規模で、自分たちが納得するものを作り続けていきたい」と語る原田さん。

水戸という場所の特性を考えながら。

「野菜たちは生育中の外部環境の変化を敏感に感じています。要は天候によって品質がころころと変わるので、自分の思い通りにならないということです。でも、だからこそ野菜の中には、その土地の、そのときの風味が出てくるのではないかと思います。そうしたものを食べたときに感じていただけるとうれしいですし、自分たちもこれからまだまだ経験を重ねて、この場所の気候・風土を日々感じ、理解しながら、〝土地の味〟〝季節の味〟というものを大事にしていきたいと思います」

水戸の西のはしっこにある小さな農園で、県外からやってきた若い夫妻が、この地ならではの季節の味を、野菜づくりを通してこれほどまでに真摯に希求し、体現しようとしている。

彼らの畑で、のびやかに味濃く育つたくさんの種類の野菜。その姿を思うだけで、なんともうれしく、ちょっと自慢したいような気持ちになる。

p09

(文…笠井峰子 │ 写真…小泉慶嗣)

目次へ戻る

p12

ときめきの赤、黄、オレンジ。

──ハイテク農園で生産される宝石のように輝くパプリカ。

 

水戸市植物公園の目の前にある、2.3ヘクタールの広大な温室。整然と並んだパイプの配管に沿って、背の高いパプリカの樹が青々と茂る光景は、壮観のひとことだ。この温室で国産の約1割に当たる量のパプリカを栽培・生産しているのが、株式会社Tedyの林社長。なぜ、パプリカなのか。率直に聞いてみた。

「なぜパプリカを始めたかというと、単純に、儲かる野菜だと思ったからです。このあたりでは国産パプリカはまだ誰も作っていないし、当時は百貨店などで1個500円以上の値段がつけられた高級野菜でしたから、大幅に値崩れするリスクもないだろうと。それに、色鮮やかできれいだから、なんというか、楽しいし、うれしい野菜じゃないですか。お客さまが箱を開けて、わぁっ、きれい!って喜んでくれる。私自身、オランダで初めてパプリカを見たとき、なんてきれいな野菜なんだと衝撃を受けましたから。最初のきっかけは、利益云々より、このきれいな野菜を自分で作ってみたい、その思いだったのかもしれないですね」

林さんとパプリカの出会いは、約20年前。当時勤めていた農協系の組織の仕事で、トマトの受粉に使うマルハナバチの飼育場の視察でオランダを訪れたときのことだった。赤、黄、オレンジ、つやつやと色鮮やかに輝くパプリカに目を奪われたという。

「もともと農業をやりたいと思っていたんです。そのため大学も農学部に進学しましたが、実家が農家というわけでもないし、ゼロから自分で始めるだけの資金もノウハウもないので、卒業後は就職の道を選びました。農業に関わる仕事ではありましたが、15年勤め、やっぱり自分で農業がやりたいと思ったときに、頭に浮かんだのがパプリカだったんです」

p15

理論攻めの農業体験
本場オランダで学んだこと

パプリカが日本に初めて輸入されたのは、1993年のこと。林さんがパプリカ栽培を始めた2000年当時は、国産パプリカを生産しているのは長野で1軒だけだったという。「パプリカ」という野菜の認知度もまだ低く、名称も「ジャンボピーマン」「カラーピーマン」などバラバラだった時代。日本では栽培方法を学べないと考えた林さんは、パプリカの輸入先であるオランダに渡る決意をした。

「オランダの専門学校に頼み込んで、1か月間の特別カリキュラムを組んでもらいました。最初は、栽培法を習得するには最低でも1年以上かかると言われたんですが、基礎だけでも教えて欲しいと無理やり頼んで。どうにか受け入れてもらえましたが、講座の内容は、想像とはまったく違ったものでしたね。とにかく、温室の温度や湿度、環境の制御に関することばかりだったんです。これまで見てきた日本のハウス栽培では、シャツ1枚になってハウスに入って、自分の体と感覚で調整するべし! というような、実践と体感で覚えていくイメージでしたが、オランダの農法はとにかく理論攻め。温度計とにらめっこしながらパソコンを使って、室温、湿度、空調を徹底的に管理するんです」

日本では温度計すら設置していないハウスも多い中、体ではなく理屈で学ぶオランダのパプリカ栽培に驚いたという林さん。中でも、印象的な講師の言葉があるという。

「植物には足がないから自ら動けない、だからあなたが環境を整えてあげなきゃいけない。そう言われたんです。温度、水、肥料。パプリカが何を望んでいるのか、それを考えろと。太陽に合わせて窓の開閉を細かく調整する。ここまで神経を使ってきめ細かい管理を行うのは、日照時間が安定しないヨーロッパだからこそ生まれたやり方なのかもしれないですね。でもとにかくゼロからのスタートですから、ここで学んだことを日本で実践できるよう、オランダとフランスから設備を取り寄せて、ハウス内の環境をパソコンで制御できる農園を作ることから始めました」

農業法人を立ち上げ、2000年に念願のパプリカ生産を始めた林さん。しかし、その冬の初収穫は思うようにいかなかった。

「思ったほど実がつかなくて、収穫量は予測の半分。さらに経費は予測の2倍。頭を抱えてしまいました。しかも、ちょうど初出荷というその年に、韓国産のパプリカの輸入が始まったんです。散々なスタートになってしまいましたが、今思うと、とにかくパプリカの栽培管理に追われてしまい、オランダで学んだことを満足に実践できていなかったんですね。パプリカが何を望んでいるのか、温度や水、肥料、それぞれの調整を工夫しながら試行錯誤を続け、4年目くらいからは手応えを感じることができるようになりました」

不安材料であった韓国産パプリカの存在も、意外な効果をもたらした。これまでオランダ産のパプリカだけが一部に出回るという限られた市場だったものが、韓国の参入で急速に拡大したのだ。スーパーにも色鮮やかなパプリカが並ぶようになり、惣菜やパックのサラダの彩りにも欠かせない野菜として、パプリカの裾野と需要が広がった。パプリカの認知度が上がるとともにTedyの経営も順調に伸び、2007年にはハウスを新設して事業拡大に成功した。

p16

肉厚でみずみずしい
完熟収穫ならではの魅力

もちろん、Tedyが成長した理由は、単に収穫量が増えたためではない。おいしくて、安全、徹底した環境管理に基づいた農法による品質の良さがあってこそだ。現在、国内で販売されているパプリカの9割以上がオランダや韓国、ニュージーランドからの輸入品。当然、輸送に時間がかかるため、鮮度は落ちてしまう。しかも、ほとんどが熟して色づく前に収穫されるので味も薄い。その点、Tedyのパプリカは完熟収穫で、新鮮なうちに消費者のもとへ届けることができるため、肉厚で、シャリッとしたみずみずしい食感と、深い味わいを楽しむことができるのだ。

「鮮度が落ちた輸入品しか食べたことのなかったお客さまから、ここのパプリカは硬いとクレームが来たこともありました(笑)。収穫して日が経つと、どうしても皮がふにゃっとしてしまうんですよね。でも新鮮なパプリカの実は、肉厚でみずみずしいんです。薄いスライスではなくて、1センチくらいの角切りにすると食感や味が楽しめます。おすすめは、パプリカとカブのサラダ。ドレッシングではなく、塩とオリーブオイルだけでシンプルに食べると本当においしいですよ」

そう話しながら、厚めにカットしたパプリカを出してくれる林さん。赤いパプリカをいただくと、パリッとした食感のあとに濃厚な甘さとほのかな酸味が心地よく広がる。代表的なパプリカは赤、黄、オレンジの3色だが、他にも緑や白などの品種があり、それぞれ味に特徴があるのだという。また、食べ方もサラダが一般的だが、ローストすると甘みと旨みがより引き立ち、その彩りのよさも合わせてさまざまな料理に活かすことができる。

p18

いつか農園内にカフェを作り、
パプリカの魅力をもっと広めたい

その特性を活かすため林さんは、生のパプリカだけでなく、加工品の製造・販売にも積極的に取り組んでいる。そのひとつが、水戸市内の学校給食にも採用された「パプリンパン」だ。砂糖を入れて煮込んでコンポートにしたパプリカをパン生地に練りこんだもので、鮮やかな色味と元気な野菜ならではの味わいが、野菜の苦手な子どもにも好評だという。

「もともとはパプリカの色と風味が楽しめるシフォンケーキを作ったのが始まりで、それを食べた教育委員会の課長さんが気に入ってくれて、地産地消の学校給食の取り組みに使いたいと打診をいただいたんです。最初は生のままピューレにして加えてみましたが、色はきれいに出たものの青臭さが残ってしまって…。砂糖で甘味を加えたり、レモンの爽やかな酸味と香りを加えたり、栄養士さんといろいろ試作を繰り返しながら完成させました。現在、加工品としてはペーストやジャムなどを作っていますが、販売だけでなく、パンやスープ、アイスなど、パプリカ料理を楽しめるカフェスペースを農園内に作ることができたらいいですね。水戸の皆さんに、おいしくて新鮮なパプリカをもっと楽しんでもらいたいんです」と、笑顔で語る林さん。

加工品の製造は、形の悪いものや傷がついてしまったものなど、そのままでは出荷できないパプリカの活用につながる。さらに、完熟した一番味がよい時期のパプリカをペーストに加工して冷凍すれば、いつでもおいしいパプリカを手軽に料理に使うことができるため、より多くの人にパプリカの魅力を知ってもらえるのでは、と期待も高まる。

「パプリカは、見た目の楽しさがある特別な野菜。悲しい気分のときに手に取る野菜ではないと思うんです。食卓を賑やかにしたい、華やかにしたい、そんな楽しい気持ちのときに買いたくなる野菜。店頭で、わぁっ、きれい! と歓声をあげるお客さまの生の反応を見られることが、一番の喜びですね。楽しく、おいしく食べてもらう。そんな幸せな野菜づくりに携われていることをうれしく思います」

今後の課題は、本場のオランダのように生産設備の機能を100%活かせるよう生産効率を高め、さらなる生産拡大に取り組んでいくことだと語る林さん。徹底的に環境管理されたハイテク農園に実る色鮮やかなパプリカは、その近未来的な周囲の風景とは対照的に、ぷっくりコロンとした愛らしい表情を浮かべ、林さんの笑顔のように元気に輝いている。

p19

(文…伊藤梢 │ 写真…小泉慶嗣)

目次へ戻る

p20

茨城のメロンに
魔法をかけた男の話。

──日本最大の野外音楽イベント「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」で、1時間待ちの行列ができるほどの人気を誇る「メロンまるごとクリームソーダ」。生みの親が明かす、冷たくも熱~い誕生秘話。

 

茨城県は、日本一のメロン生産量を誇る県。そして、その県都である水戸市は、なんと全国の県庁所在地のなかで一世帯当たりのメロン購入量がもっとも多い都市*なのである。いまや全国各地に熱烈なファンを持つ「メロンまるごとクリームソーダ」。このスイーツがここ水戸で生まれたことには、そんな必然があったのだ。

メロンの種の部分を取り除き、果肉に切り込みを入れたものを凍らせ、その中にソーダを注ぎ、バニラアイスを添える。言ってみれば、かつて喫茶店の定番メニューだった緑色の〝メロンクリームソーダ〟の本物版、それが、「メロンまるごとクリームソーダ」だ。

なんとも贅沢で心躍るこの商品を開発したのは、水戸駅南口近くでダイニングバー「酒趣」を営む井坂紀元さん。この「メロンまるごとクリームソーダ」が、いまや、日本最大の野外音楽イベント「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」(毎年8月第1週の金曜から3日間、水戸市のお隣、ひたちなか市にある国営ひたち海浜公園で開催。以下ロック・イン・ジャパン)で名物的な存在となり、連日1時間待ちの行列ができるほどの人気を集めている。

まだ「メロンまるごとクリームソーダ」を味わったことのない人は、右の写真を見ながらフェスに行った自分を想像してみよう。太陽が照りつける真夏の野外で、凍ったメロン丸ごと1個を手にし、溶け始めた果肉を少しずつスプーンで削り出しながら、泡が弾けるソーダとバニラのアイスクリームとを一緒にすくって口に放り込む。キーンとして、シャリシャリ、シュワシュワで、うっとりするような香りがして、とろけるように甘くて…。しかも、値段は1個800円と手ごろ。炎天下で1時間待っても手に入れたいと思う人がいても、確かに不思議ではない。

「ロック・イン・ジャパン」以外の、たとえば夏に5、6回出店するというカシマサッカースタジアムでも、この「メロンまるごとクリームソーダ」は試合開始前に売り切れてしまうほどの人気ぶり。Jリーグのサポーターによる全国のスタジアムフードの人気投票「食べりんピック」においても、冷スイーツ部門で堂々の2年連続金賞に輝いている。

p20 p23

巨大な冷凍倉庫のなかで
出番を待つ3万個のメロン

「お待たせしました。今日はそんなに暑くなくて、積み出しにはいい天気ですね。フェス当日はもう少し晴れて気温があがってくれるとうれしいけど」

「ロック・イン・ジャパン2013」の開催を2日後に控えたこの日、井坂さんは、積載量4トンの冷凍車を自ら運転して約束の場所に現われた。場所は、フェスの会場から車で15分ほど北上したところにある、久慈漁港(日立市久慈町)の冷凍工場だ。ここの冷凍倉庫の中に、井坂さんが1年間に使用するメロン約3万個が、凍った状態で出番を待っている。この日は、「ロック・イン・ジャパン」3日間で使用する約6000個を搬出する予定だという。

「中に入ってみますか?」

井坂さんに誘われ、巨大な冷凍倉庫の中に足を踏み入れる。温度はマイナス20度。緊張のせいもあってか、入った瞬間、少し息苦しさを感じる。落ち着いて中を見渡すと、天井近くまで積み上げられたおびただしい数のメロンの箱、箱、箱。この巨大なメロンタワーを形成する箱の一つひとつに、種が取られ切り込みが入れられた加工済みのメロンが5個ずつ収まっているという。

井坂さんの指示でこの日運び出される箱が決まり、冷凍倉庫の外に出ると、ほどなくして、冷凍工場の工場長が操るフォークリフトで、メロン1パレット分が冷凍倉庫から出てきた。1パレットには、約130箱が載っている。さて、ここからどんな機械で荷台に積み込むのだろうと見ていると、井坂さんとスタッフの青年は、2箱、3箱と両手で抱え上げ、荷台の奥へと運び始めた。……まさか、手作業? しかも、ふたりだけで?!

どうやら、特別な機械の登場などないらしい。たったふたりでこれから1200箱、6000個のメロンを積み込もうとしている。完了までにいったいどのくらいの時間がかかるのか。がっしりした体格の井坂さんは平然として見えるが、手伝う細身の青年の顔は紅潮し、シャツやズボンの色が汗でみるみる変わっていく。

結局、2時間半以上をかけ、993箱分、メロン4965個が冷凍車の荷台いっぱいに収まった。「3日分にはちょっと足りないな。また明日ひとりで取りに来ます」と笑う井坂さん。ひとりで、ですか? と問い返すと、「メロン農家さんから運び出すときは、いつも僕ひとりなんです、さすがに積み終わると30分くらい倒れて動けなくなりますけどね。今日はまだふたりだったから大丈夫」と、屈託のない笑顔を見せた。

p24

15万人以上が集まる場で、
茨城をアピールしたかった

「人気が出て本当にありがたいけど、儲けはほとんど出ないんですよ」と笑う井坂さん。なぜ、倒れて動けなくなる思いをしてまで「メロンまるごとクリームソーダ」を提供し続けるのか。

「『ロック・イン・ジャパン』には全国から15万人以上が集まる。そこで茨城をアピールできたらっていう想いがずっとあって。それで、2007年に出店をめざして、急遽、新商品づくりに取り組んだんです」

白羽の矢が立った素材が、メロンだった。

「メロンって、茨城が生産量日本一なのに、当時、県外の方にはまったくそういう印象がなくて。だからぜひアピールしたかった」

炎天下のフェスの会場で、観客は音楽に合わせて飛び跳ねて踊る。そのシチュエーションで、どうすればいちばんおいしい食べ方になるか──試行錯誤していくなかで、メロンをまるごと使うことを思いつく。

「時期的なことや販売する量を考えると絶対冷凍すべきだなと考えていて。誰でも、メロン1個をまるごと食べてみたい願望って、ありますよね? 試しに1個作ってみたら、ドリップ(溶けるときに出てくる水分)に果汁がしみ出て、本物のおいしいメロンソーダになった。ビジュアル的にも、メロンをまるごと持って歩いてもらえれば、あれ何? って、すごく宣伝効果が上がりますよね」

儲けがそれほどなくても、
茨城が認められればうれしい

試作品はうまくいった。しかし、フェスで売るには、素材を大量に確保する必要がある。自分の店で新鮮な素材を提供するため、つねに野菜は農家から直接仕入れている井坂さんだが、メロン農家とは付き合いがなかった。

「いろんなメロン農家さんを回りました。でも、皆さん〝凍らせるなんて聞いたことない〟って。けんもほろろでしたね」

話をしたすべてのメロン農家に断られ、さすがの井坂さんも途方に暮れていたときに、県西の八千代町にある千代川青果の女性専務(現在は社長)の高野さんが、「それ、おもしろいね!」と言ってくれた。

「高野さんが、〝それ、やってみる価値あるよ。新しいメロンの食べ方が広まれば宣伝にもなるしね、協力するよ〟って、その場で快諾してくださって。うれしかったですねぇ。初回に2000個を売ってくれたんです」

量を確保する保証を得た井坂さんは、フェスの主催者であるロッキング・オン社に申し込み、審査を通過する。

「その後、2か月間で、高野さんが売ってくれた2000個を店の厨房で仕込み、当日全部持っていきました」

この年は、店を休みにして、スタッフ皆でイベント気分で出かけたという。

「ところが、まったくそれどころじゃなかった(笑)。お陰さまで最初から人気が出て、しかも僕らも初めてで手際が悪く、そのときはアイスクリームなしだったのに、今より時間がかかって余計行列が長くなってしまった」

初出店ですでに主催者に〝数年後にはこのフェスの名物になるかも〟とまで言わせる人気ぶりだったが、営業的には大赤字だった。続く2年目も赤字、3年目の2009年からは、アイスクリームを乗せて700円で提供したが、それでも赤字、2010年、価格を800円に改訂してようやく少し黒字になったという。これ以上価格を上げないために、可能な限りひとりで運んで人件費を抑え、出動回数と比例してかさむレンタカー代を押さえるため、今年は中古の冷凍トラックも購入した。

「抑えられるところはもう全部抑えてます。あとはもうどこも削れない(笑)」

そうまでしてやる理由は何なのか。

「茨城のPRには確実になっていると思うんですよ。最初のころは、〝茨城のメロン??〟って感じでしたけど、今年はもう〝茨城に来たらメロンだよね〟って声がいっぱい聞こえて。お客さんの声が変わったという実感はあります。本当に作業は大変なんですが、でも、商品を手にしたときのお客さんの笑顔を見るとね、すべて癒されてしまうというか」

〝茨城〟が認められることが、うれしい。

「やっぱり自分が生まれ育ったところですから。それにやっていて思いますけど、メロン100個なら他の地でも集められるかもしれないけど、1万個レベルになると、もう茨城じゃないとできないです。日本一の産地だからこそできる。そもそも日本一メロンを食べる水戸市に住んでいるからこそ、発想できたのかもしれないですしね。今はとにかく行けるところまで行ってみようと。メロンひとつで、どこまでできるのか、楽しみですね」

最後にこの先の夢について尋ねてみた。

「そうですね、いつかは茨城の食材と酒にこだわった店を都内へ持っていきたい。海外にも出てみたいですね。今なら意外と海外が先、というのもあるかもしれないですよね」  井坂さんの頭の中では、メロンのほかにも茨城のいろいろな食材を活かした新しい商品のアイデアが、今や遅しと表舞台への出番を待っているのだという。

「ただ、今はメロンに1年のうち半分以上かかりっきりになるので、なかなかほかのものを進められないのが悩みで」

言葉とは裏腹に、大らかな笑顔を見せた。

この先も当分の間、井坂さんは全国各地からのラブコールに応え、何千個ものメロンをひとりで荷台に積み、冷凍トラックを何百キロと走らせ続けることだろう。水戸の、茨城の誇りを胸に抱いて。メロンの次に表舞台へと送りだす地元素材のアイデアを、ひそかに膨らませながら。

p26

(文…笠井峰子 │ 写真…小泉慶嗣、服部哲郎)

目次へ戻る

p27

家族と一緒に働けるから、
農業は楽し。

──いつの日か祖国ミャンマーに水戸の「ねぎ」を伝える日を夢見て。

 

日本に来て「信じられないほど大きくて甘いいちご」に魅せられ、妻の実家がある水戸でいちご作りを始めたミャンマーの青年が、「柔甘ねぎ」の生産者へと転身。その理由は、ほかならない愛する家族のためだった。

 「柔甘(やわらか)ねぎ」は、その名のとおり〝柔らかくて甘い〟 軟白ねぎ。平成9年からJA水戸のねぎ生産部会によって生産されているブランド品種だ。ビニールハウスの中で有機質肥料をたっぷりと与えるなどの工夫をすることで、白い部分の多い、甘く柔らかいねぎになるのだという。ハウスで栽培するため雨に当たらず、結果、農薬も最小限で済む。

手間ひまをかけて大切に育てられた〝箱入り娘〟の柔甘ねぎは、露地栽培のねぎに比べ、繊細で柔らかく、辛みがないため、ねぎの苦手な人や子どもにも好評だという。青い部分も柔らかいためすべて食べることができ、薬味はもちろんサラダなど生食にもぴったりで、リーフレットやホームページではたくさんのレシピも紹介されている。

p28

大きないちごに感動し日本での就農を決意

2年前からこの柔甘ねぎの生産に取り組んでいるのが、藤川アーカーミンさん夫妻だ。ご主人のアーカーミンさんは、ミャンマーのシャン州出身。妻の明子さんとの出会いは13年前、ボランティア活動のためにミャンマーに滞在中だった明子さんと偶然乗り合わせたバスが大渋滞で立ち往生してしまったことがきっかけだったそう。

明子さんいわく「彼からの熱烈なアプローチで」交際を始めた翌年、アーカーミンさんが来日。海を越えた異国での驚きや発見はたくさんあったが、中でも一番衝撃をうけたのが、大きくて甘い「いちご」だった。

「ミャンマーのいちごは、もっと小さくて甘味も少ない。どうやったらこんなにおいしいいちごができるのか、興味がわきました。他にも、例えば大根も太くて大きいし、日本の農業技術はミャンマーよりずっと進んでいる。自分もこんないちごを作ってみたい、日本の農業を学んでみたいと思いました」

やがてふたりは結婚し、しばらくはミャンマーで生活するが、明子さんの出産をきっかけに日本へ移住。明子さんの実家がある水戸で、新規参入農業支援制度の認定を受けて農業を始めた。

しかし、アーカーミンさんも明子さんも農業の経験はゼロで、実家が農家というわけでもない。不安はなかったのか、との問いに「若かったからね」と笑顔でひと言。

「できるかな、やっていけるかな、という不安よりも、頑張ろうという気持ちと先への期待のほうがずっと大きかった。最初に日本に来た時にもしばらく地元の農家で手伝いをしながら勉強しましたが、JA水戸の現組合長の八木岡さんが、支援制度のことを教えてくれ、熱心に誘ってくださって。それが、日本への移住を決断する直接のきっかけになりました」と、当時を振り返る。

その後2年間、八木岡さんのもとでいちご作りを学び、いよいよ自分たちの畑を、というときに大きな壁が立ちはだかった。

「とにかく、土地が見つからないんです。条件のいい土地は当然もう他の方の農地になっているし、空き地があっても新参者の私たちにはまだ信用がないからなかなか貸してもらえない。頑張って農業を学ぶことも大切だけど、人と人とのつながりや信頼関係を築くことも大切なんだと痛感しました」と、明子さん。ようやく手に入れた畑に自分たちの手で11棟のビニールハウスを建て、念願のいちご農園経営が始まった。

p29

自分たちのスタイルで農業とともに暮らす

アーカーミンさんが農業を始めたきっかけでもある、甘くて大粒のいちご。熱心に学び、祖国に帰る間も惜しんで取り組み続けた努力が実り、評判は上々。しかし、ふたり目の子どもが生まれ、明子さんが子育てに忙しくなったことで状況は少しずつ変わっていった。

「いちごは、シーズン中は毎日収穫するだけでなく、一年間ずっと手が離せない作物。それに比べると、ねぎはある程度自分たちでスケジュールが組み立てられるんです。いちご以外のものを作ってみたいという思いもあったし、柔甘ねぎの栽培ならハウスもそのまま使える。自分たちの生活を大切にするためにも、ねぎに切り替えることにしたんです」

ブランド品種である柔甘ねぎは、出荷の際の規格審査も厳しく、″自分なりのやりかた〟が通せないことで部会の人と衝突したこともあったそうだが、休耕時期となる夏場の3か月を利用し、アーカーミンさんは7年ぶりにゆっくりミャンマーに帰省することができた。

「農業は大変、と言うけど、どんな仕事もそれは同じ。育てる楽しさや収穫の喜びがあるし、何よりも家族と一緒にいられる時間が長いのが農業の魅力。僕は休日に得意なサッカーを楽しんで、明子は大好きな旅行に行ける今の生活スタイルに満足してます。子どもたちはいちご農家のほうが甘くておいしくてよかったと残念がってるけど(笑)」と、人懐っこい笑顔を浮かべるアーカーミンさん。今後は規模を拡大し、ミャンマーにも日本で学んだ農業を伝えていきたいと、夢は広がる。

(文…伊藤梢 │ 写真…大谷健二)

目次へ戻る

p30

親子三代、
一家8人で守る水戸のりんご。

──初代が大切に育てたりんごの木が、みんなの気持ちをひとつにする。

 

農業大県として知られる茨城県。県都である水戸市も例外ではなく、多種多様な農産物が生産されている。しかし、そのなかに「りんご」が含まれていることは、水戸市民の間でも意外と知られていない。35年前から水戸市内で続く「石島りんご園」を訪ね、この地でりんご園にこだわり、続けていく理由を聞いた。

りんごといえば寒冷地でつくられるイメージが強いが、茨城県は国内でりんごの栽培ができる南端地域と言われている。茨城県内では、北部の大子町がりんごの産地として有名だが、水戸市における果樹栽培は昭和43年に始まる。この年、明治100年を記念して造成が開始された「水戸市森林公園」の開発計画に伴い、近隣の農家が観光産業のひとつとして果樹園経営に乗り出したのだ。

それまでは主にタバコを生産していた、木葉下町、全隈町にある農家が集い「水戸観光果樹園芸組合」を結成。当時の組合員はこぞって「ぶどう」や「なし」の生産を始めたが、それから10年後、石島りんご園の初代主人が「うちは他がやっていないりんごをやろう」と、りんご生産に乗り出した。二代目主人の石嶋一夫さんは当時の思い出をこう語る。

「当時はまだ学生で、しかもラグビーに夢中だったから家のことには興味がなく、りんご園を始めると聞いても、ああそうなんだ、くらいの印象でしたね。長男で跡継ぎという自覚はあったものの、東京の大学に進学して家を出てしまったし、りんご園をゼロから始めた両親にどんな苦労があったかはほとんど知らないんです」

しかし、その約20年後、一夫さんはりんご生産の大変さを実感することとなる。

「大学卒業後は神奈川でサラリーマンとして働いていましたが、親父が身体をこわしてしまい、実家に帰ることにしたんです。りんご園は軌道に乗っていたから、自分は手伝いをするだけでしたが、その数年後に親父が他界し、いざ跡を継ぐとなると全然うまくいかなかったんです。剪定はぎこちないし、肥料や消毒の具合もわからない。最初の2~3年はとても収穫できるような状態じゃなかった。こんなに大変なのかと、そのときようやく親父の頑張りが身に染みてわかりましたね」

p31

手間がかかるからこそ収穫の喜びも大きい

それでも、果樹組合員のアドバイスを聞きながら、手入れや世話を懸命に続けた。しかも、専業農家としてではなく、会社員として勤務しながらりんご園の経営を兼務する多忙な生活。そんな一夫さんを支えたのが、妻の照美さんだ。

 神奈川で出会って結婚し、「家」の跡継ぎとして水戸へ戻ったふたりだが、「家業」を継ぐかどうかは、当時まだ考えていなかったという。二男一女の子宝にも恵まれ、家族を養うための仕事も持っていた一夫さん。「じつは、父が他界したとき、りんご園をやめてしまおうかとも思ったんです。でも、親父が大切に育てたりんごの樹を切ってしまうのは名残惜しく、切るのはいつでもできる、やれるだけやってみるか、と続けることにしました」と語る。

「りんご園を継ぐことについて、家内には、相談というより事後報告で伝えましたが、手伝いをしている頃からやる気をみせてくれていたので、賛成してくれるとわかっていました。子どもたちも、じいちゃんが大切にしていたりんごだから、と応援してくれていたし、今もいろいろと手伝ってくれる。りんごの世話は一年中休める日がないけれど、仕事をしながら続けてこれたのは家族のおかげです」

そんなご主人の言葉をうけ、照美さんも笑顔で語る。「農家の嫁は大変でしょ、と言われるけど、私にとっては楽しさのほうが大きいの。もちろん、自然相手の仕事だし、大変ですよ。冬場はずっと剪定作業をして、春になったら消毒をして、夏にかけて摘果や草刈りをして……。夏場の暑さは本当に辛いし、山あいの畑にひとりで行って作業するのも怖い。でも、りんごが実って、皆さんにおいしいと喜んでもらえると、そんな苦労は吹き飛んじゃう。収穫の時期の喜びは、本当に格別なんですよ」

p32

自家製アップルパイやジャムも評判

勤めが休みになる土日にしか作業ができない一夫さんに代わり、りんご園の管理を一手に引き受ける照美さん。女性ならではの視点で、直売所での販売にも力を入れている。

「前は、りんごを並べただけの道端の売店で、お客さまが居る場所もなかったんです。それじゃ、せっかく作ったりんごがもったいないでしょ? 自慢のりんごを並べるためのキレイなお店、それと、形が悪かったり傷がついてしまったハネものやB級品を生かすための加工品を製造販売できる場所が欲しかったんです」と、5年前に直売所を建て替えたのだ。

新しい直売所は、ログハウス風の立派な建物。お菓子作りを学んだ腕をふるい、アップルパイやジャムを製造できるキッチンも備えている。りんごの収穫時期になると、朝早くりんごを収穫して店に並べ、接客をしながら奥のキッチンでお菓子作りをする、それが照美さんの日課であり、楽しみなのだ。

間もなく定年退職をむかえる一夫さんがりんご園の管理に専念できるようになれば、直売所にもっと力を入れられることが楽しみだと語る照美さん。加えて、子どもたちの存在も心強い。JAに勤める長男の誠太郎さんは休日にはりんご園を手伝い、地元農業の活性化を目指して自身もカリフラワー生産に取り組み、妻の佐江子さんも直売所の仕事を手伝ってくれる。そして、お菓子作りを手伝いながら新作のお菓子にも的確な意見をくれる長女の奈美さん。次男の努さんも、消防隊員として働く傍らで草刈りなどりんご園の世話を手伝い、りんごと合わせてお菓子作りの素材になるような作物の生産にも取り組みたいと、頼もしい顔を見せる。

そんな家族の姿を見つめながら、初代の妻である泉さんが喜びの気持ちを口にする。「農業は大変だから、若い人たちはやりたがらない時代。それでも、じいちゃんが植えたりんごだから、と言ってくれる気持ちがうれしい」

親子三代、一家8人で営む水戸のりんご園。口いっぱいに広がる甘みとさわやかな香り、石嶋さん家のおいしいりんごには、家族のあたたかさが溢れている。

p33

(文…伊藤梢 │ 写真…大谷健二)

目次へ戻る

p34

大地の実りのよろこびを未来へ。

──JA水戸の組合長が推し進める「食農教育」がつなぐもの。

 

若者の農業離れは茨城においても深刻だ。その状況を少しでも改善するため、「まずは、農業のファンを増やそう」と、子どもと農業をつなぐ試みに取り組む人物がいる。水戸農業協同組合(以下JA水戸)の組合長、八木岡さんがその人だ。

水戸市の東端に位置する常澄地区は、那珂川と涸沼川の下流域に広がる肥沃な水田地帯だ。「水戸の米どころ」ともいわれるこの地域では、JA水戸の常澄ブランド米栽培研究会による特別栽培米(農林水産省のガイドラインに沿って減農薬・減化学肥料で育てられる)〝風彩常澄(かぜいろつねずみ)〟ほか、業務用の新品種〝ふくまる〟などが作られている。

9月下旬のよく晴れたある日の午後。その一画だけまだ黄金色の稲穂が残る田んぼに、市内の小学校から5年生120人が列を組んでやってきた。待ち受けるのは、JA水戸青年部に所属する米生産者の皆さん。今日はこの場所でJA水戸主催の「稲刈り体験」が行われるのだ。

挨拶をすませると、さっそく子どもたちに鎌が配られる。受け取った子どもたちは長靴を履いて次々に田んぼの中へと入り、稲を刈り始める。危なっかしい手つきも中には見受けられるが、皆、神経を手元に集中させ、テンポよく鎌を動かしていく。

「慌てなくていいよ。ほら、穂が少し残ってる。全部にお米がついているからね、ていねいに刈ろう!」

JA水戸青年部の皆さんが声をかける。

稲刈りを無事に終え、帰途につく子どもたちには、JA水戸女性部の皆さんがつくった「おにぎりセット」がひとつずつ手渡された。この地区自慢の〝風彩常澄〟の新米を使ったぜいたくなおにぎりがふたつ。うちひとつは、真っ白に輝く塩むすび。稲刈り体験の後に味わう、塩だけでにぎられた新米の格別なおいしさ、豊かな滋味が、子どもたちに新たな「味覚の体験」をももたらす。

p36

本物の野菜を知り、味わってもらいたい

JA水戸では、この稲刈り体験のような、子どもたちを対象にした農業体験を積極的に推進している。その活動の中心にいるのが、2012年の4月から組合長を務める八木岡努さんだ。50代での組合長就任は、異例中の異例。現場に近い組織運営を望む若き生産者たちの覚悟と期待に後押しされ、組合長となった。

その期待にそむくことなく、八木岡さんは就任からわずか1年半の間に、さまざまな改革や新事業に着手してきた。たとえば、2012年8月から6億6千万円の費用を投じ、JA水戸の事業所すべて、全18か所に設置した太陽光発電システム。

「再生可能エネルギーの普及を積極的に行うことが自分たちにとって自然な流れと考え」、決断したという。

そして、もうひとつ、八木岡さんが熱心に取り組んでいるのが、子どもたちへの「食農教育」だ。

インタビューの当日にも、「JA那珂川流域ライスセンター」の広大な施設に、市内の4つの小学校から5年生220人を招き、昔ながらの稲わらを使った縄づくりや脱穀・精米の方法、最新の農機具や巨大な低温倉庫の見学を行う「ちゃぐりんフェスタ」が開催されていた。

「春からバケツや田んぼで稲を育てた子どもたちなんです。その稲を収穫して、今日は脱穀・精米や縄を編む体験をしてもらいます」

なぜ、八木岡さんは子どもたちの農業体験、食農教育に力を注ぐのか。

「それは本物の野菜を知り、味わって食べてもらいたいから。単に腹をいっぱいにするだけの食生活のまま育てば、親になってもそういうものを自分の子どもに出すでしょう」

p37

農業を真ん中に据えたまちづくりを目指して

自ら営むいちご農園でも、10年以上にわたり子どもたちを収穫体験で受け入れてきた。その経験をフルに生かし、さらに組合長として青年部、女性部、職員の力をひとつにまとめあげ、八木岡さんは多岐にわたる体験学習を実現している。

「初めのうちは、子どもたちと言葉が全然通じないんです。畑の面積の話をしても、旬という言葉を使って収穫の時期の話をしてもまったくわかってもらえない。玄米って何? 白米って何? お米と稲はどう違うの? というところからですから」

子どもたちに興味を持って話を聞いてもらうため、7年前に野菜ソムリエの資格も取った。

 「やっぱりどっかのおじちゃんが来て話すのと、野菜ソムリエが話すのとじゃ、聞く方の耳と目がまったく違うんです。先生方もそうです」

 子どもたちに〝今日は土をいじって手が汚いからよく洗いましょう〟と無意識に伝えていた先生たちも、バケツで稲を育てるうちに自然と変化していく。そうやって農業のファンを増やしていきたいのだと八木岡さんはいう。

「農業は後継者不足が深刻で、人材が喉から手が出るほどほしい。でも、すぐに集まるわけではないから、まずは応援してくれるファンを増やしたい。特に子どもたちに継続して働きかけていくことは重要です」

その営みが農業に就く人材の発掘・育成に必ずつながると信じる。

「だって種を蒔かなければ、ぜったいに芽は出ませんからね。できるだけたくさん蒔いて、その中から一本でも二本でも育てばうれしい」

八木岡さんの夢は、JAの事業を通じてすべての世代をつなぐこと、そして、食や農業を真ん中に据えたまちづくりを実現すること。その姿こそ、日本屈指の農業県・茨城の県都である水戸にふさわしい。夢を目指し、組合長の挑戦は続く。

(文…笠井峰子 │ 写真…小泉慶嗣)

目次へ戻る

p38

江戸時代の水戸徳川家の料理

──古書『食菜録』をひも解

 

江戸時代には料理のレシピ本がいくつも発行され、中にはベストセラーになるほど庶民の人気を得ていたものもあることをご存じだろうか。
 ここ水戸にも、江戸時代後期の水戸徳川家に伝わる料理の調理法をはじめ、味噌や漬物の製法など、約300もの料理に関する記述をまとめたレシピ本があった。
 執筆したのは、水戸藩第九代藩主の齊昭公で、書物の名は『食菜録』という。江戸時代後期にまとめられたこの料理書は、後に活字本としても出版されている。
 ここでは、そのレシピをひも解き、ある部分では大いに想像を働かせながら、当時の料理の再現を試みた。

p39 p40 p41 p42

江戸時代の料理は、一汁三菜が基本であり、大名といえども普段から豪華な食事をとっていたわけではないようだ。その分、ハレの日には料理人が趣向をこらした品々が用意された。当時は、殿様が酒を一献傾けるごとに、お膳の料理すべてを新たなものに替えて出したという。吸い物もそのたびに替える必要があり、料理人にとっては、いかに手際よく異なる種類の吸い物を作るかも重要な知識であったようだ。

また、殿様の食事といえども食材をまったく無駄にしない調理法が大切にされていたり、現代にも通じるじつに科学的な調理法が用いられていたりと、『食菜録』には、平成の世の視点からみても、非常に興味深い記述がいくつもある。

p43

目次へ戻る

地元の野菜と果物が楽しめる
水戸のいいお店。

──直売所からホテルレストランまで

 

「やさいの王国・くだもの天国」の水戸では、販売店や加工品店、飲食店においても、新鮮かつ安全な農産物を、よりおいしいかたちで地元の人たちに届けようと、独自に創意工夫を凝らすお店がたくさんあります。地元産の野菜・果物にこだわる人気の16店をご紹介。

p44

 

shop01

ハートフルファーム 土の香

世界的パティシエも認めたいちご
土の香のいちごは、濃厚な甘みと輝きが特長。那珂川が育んだ豊かな土壌、ミネラル豊富な地下水、丹念な土づくりによるものだ。県内外からの評価が高く、有名パティシエ鎧塚俊彦氏にも絶賛され、デザート専門店「トシ・ヨロイヅカ」で使用されている。「いちごの可能性を追求したい」と二代目・八木岡岳暁さん。いちごのアイス「紅羽(くれは)」、発泡酒などの加工品の開発も手掛ける。

 

shop02

魚菜遊膳 さくら亭

野菜ソムリエ提案の多彩な和風惣菜
野菜ソムリエが提案する和風惣菜のバイキングが人気。惣菜は、県産、市産の季節の野菜や果物を多彩にアレンジしたもので、約20種類を用意。昼も夜もバイキングスタイルが楽しめる。昼は「デザート付きバイキング」(1270円)、夜は「刺身付きバイキング」(1575円)、「お寿司付きバイキング」(1890円)など。座敷席を配した店内は、ゆったりと食事が楽しめる開放的な雰囲気。

 

shop03

コーヒーショップ &me (水戸京成ホテル内)

ランチのブッフェのサラダにもこだわり
水戸京成ホテル1階にあるカジュアルレストラン。ホテルならではの上質空間で、パスタやピザのほかシェフ自慢の料理を、リーズナブルな料金で楽しめる。野菜は、食の安全に取り組むGAD認証農場のものを積極的に使用。「Tedy」のパプリカや「アクト農場」のベビーリーフなど、野菜本来のみずみずしい味と安全を大切にする地元の生産者たちの野菜を取り入れている。

 

shop04

食と農のギャラリー

採れたて野菜を使った加工品が人気!
生産から加工、流通、販売までを手掛ける「六次産業」を実施する店。農商工消連携協議団体が運営し、生協パルシステムや水戸市の日本農業実践学園など、さまざまな団体が商品を販売。オーガニックの野菜を使用する無添加のシフォンケーキ、季節の素材を使うソフトクリームをはじめ、ピザ、ジャム、プリン、パン、みそなどを扱う。午後3時からは、契約農家の野菜を店頭で販売。

 

shop05

アグレアブル

地元食材の魅力を引き出すイタリアン
県産食材を積極的に取り入れるイタリアンが評判のワインバー。東京で15年ほど経験を積んだシェフは、「茨城の野菜は、東京の築地市場でも人気。料理人の創作意欲をかき立てる」と話す。黒板に書くメニューは、その日に入る食材で決まる。ワインはフランス産とイタリア産が中心。ソムリエが料理と好みに応じたワインを提案してくれるのもうれしい。グラスワインは1000円前後。

 

shop06

常陸国 穴とら屋

築70年の古民家で県産の上質鴨に舌鼓
厳選素材にこだわる鴨料理専門店。築70年の建物にはノスタルジックな空気が漂う。茨城の霞ヶ浦産フランス鴨、つくば産チェリバレー種など、契約農場から入る上質の鴨肉を使った「鴨鍋」や「すき焼き」が看板料理。冬季は、雉(キジ)やイノシシなどの野趣あふれるジビエ料理が登場。そのほか、「Tedy」のパプリカを使ったスティックサラダなど茨城の旬の味覚が楽しめる。

 

spot01

水戸芸術館 [周辺のおすすめ観光スポット!]

水戸から世界へ。芸術文化の発信拠点
街の中心地に建つ水戸芸術館は、独特の形状で知られる高さ100mの塔をシンボルとして、コンサートホール、劇場、現代美術ギャラリーの3つの専用空間で構成される複合文化施設。音楽、演劇、美術の各分野が独立した活動を行いながら、互いに影響し合い、水戸の芸術・文化活動の拠点として、市民に親しまれると同時に世界からも注目を集めるさまざまな発信を続けている。

 

shop07

イル・バンカーレ
(ホテル テラス ザ ガーデン水戸内)

水戸近郊の“農園野菜”をたっぷりと
水戸駅から直結するホテル内のレストラン。洗練された空間で、イタリアンをベースに、五感を刺激する多彩なアレンジで仕上げる料理が楽しめる。昼夜ともに、前菜、スープ、デザート、自家製パンなどが食べ放題のスタイル(ドリンクバーは昼のみ)。サラダバーには、「しづはら農園」をはじめ、水戸近郊の採れたて“農園野菜”をたっぷり使用したフレッシュサラダや前菜が並ぶ。

 

shop08

酒趣

「茨城」の食材の旬の魅力を心ゆくまで
茨城産の食材の旬の魅力を、照明を抑えた落ち着いた空間で心ゆくまで味わうことのできるダイニングバー。日本酒は県内の酒蔵の酒のみ、約100種類を揃える徹底ぶり。野菜はオーナー自らが厳選した契約農家から仕入れ、魚もその日上がった市場に出る前のものを入手。採れたての食材のうまさをシンプルに伝える創作料理が人気。「メロンまるごとクリームソーダ」は予約を。

 

shop09

カフェ・ド・ロトリー

契約農家から届く季節の野菜をふんだんに
フレンチとイタリアンを学んだ夫妻が開く、地元の新鮮野菜を使った料理と手作りスイーツが人気のカフェレストラン。「一回の食事に、野菜10品目を取り入れたい」とシェフ。近くの契約農家から入る元気な食材を独自のアレンジで仕上げる料理は、心と体に栄養を届けてくれる。県産カボチャを使ったタルトなど、季節の素材を盛り込んだスイーツも充実。ランチ1050円~。

 

spot02

千波湖・偕楽園 [周辺のおすすめ観光スポット!]

水戸自慢の“おもてなし”の場
千波湖は街の真ん中に広がる1周3キロの湖。湖周の歩道は美しく整備され、朝に夕にウォーキングやランニングを楽しむ市民が集う。白鳥、黒鳥、鴨など水鳥と間近で触れあえるのも千波湖の魅力。その千波湖を一望できる位置にある偕楽園は、ご存じ日本三公園のひとつ。約13haの園内におよそ100品種・3000本の梅が植えられ、早春にはあたり一面が薄紅色に染まる。

 

spot03

徳川ミュージアム [周辺のおすすめ観光スポット!]

水戸徳川家の家宝3万点を所蔵
水戸徳川家伝来の貴重な大名道具や古文書を収蔵する博物館。徳川家康公の遺品を中心に家康公の子である水戸藩初代頼房公、2代光圀公ら歴代藩主やその家族が遺した什宝約3万点を所蔵。P43で紹介している9代斉昭公が著した『食菜録』もここに収蔵されている。ガーデンテラスでは、お茶やランチのほか、『食菜録』を現代風にアレンジした「斉昭御膳」(要予約)も楽しめる。

 

shop10

JA水戸 渡里地区農産物直売所

新鮮さと安心は、直売所ならでは
水戸市内の生産者約170名が出荷する直売所。那珂川流域の渡里・国田・飯富・柳河地区で栽培される野菜や果物のほか、農産加工品などを扱う。キャベツ、白菜、ブロッコリーなど各地区の特長をいかして作る農産物は、採れたてのおいしさ、生産者がわかる安心、直売ならではの新鮮さが評判。年6回の特売、消費者との交流、小学生の食育などのイベントを開いている。

 

shop11

JA水戸 上中妻地区農産物直売所
つちっこ河和田

地域住民に愛される人気の直売所
水戸市内や近郊の生産者約190名が出荷する野菜全般を扱う。直売ならではの鮮度のよさがウリだ。年に6回開催する「特売のイベント」が評判。いちご、メロン、すいか、新米をはじめ、特売に合わせて作られるとうもろこしや白菜など、季節の採れたて野菜や果物を求めて大勢の客で賑わう。りんご狩りやジャム作りなど、消費者と生産者の交流会も開いている。

 

shop12

大ちゃんシェフスイーツ工房 CANONカノン

ブルーベリーは水戸市内の農園から
「みんなが笑顔になるようなスイーツを」と、一つひとつ愛情を込めて作っている。市内の農園で栽培するブルーベリーのタルト、ほしいものプリン、県産トマトのロールケーキなど、厳選した地元の野菜や果物の持ち味をいかしたケーキは、無添加で安心して食べられると評判だ。五感を刺激する数々の愛らしいスイーツの姿に思わず微笑みがこぼれる。

 

shop13

パティスリー グランネージュ

水戸の卵を使った自慢のふんわりカステラ
東京とフランスで修業したオーナーシェフ。「恵まれた大地で育った茨城の食材を積極的に使いたい」と地産地消に取り組む。市内の養鶏場から届く卵と県産の米粉を使い、ふんわりと焼き上げるカステラは自信作。そのほか、ブルーベリー、りんご、柿、いちごなどを取り入れたケーキは、目と舌で季節感が楽しめ、年配者から子どもまで幅広い客層から支持されている。

 

shop14

森のシェーブル館

水戸市農業公社が運営する本格チーズ工房
ヤギ乳100%で作るカマンベールタイプのチーズ「シェーブル」をはじめとするさまざまなナチュラルチーズを製造、販売。チーズは数々の受賞歴があり、2013年「ALL JAPANナチュラルチーズコンテスト」においても「カチョカヴァロ」が優秀賞に輝いた。水戸とチーズの関わりは、乳製品の一種である酪や蘇に着眼、普及に力を注いだ水戸藩9代藩主斉昭公の時代にさかのぼる。

 

shop15

レストラン ママノエル

女性シェフが厳選する水戸産素材
水戸市郊外にあるフレンチレストラン。「すべて手作り」をモットーに、女性オーナーシェフが体に優しい料理に腕をふるう。自ら水戸市内の生産者を訪ね、目と舌で確かめた素材を選ぶ。だから、野菜や果物は市内の契約農家から入る採れたてが中心。減農薬栽培の「クロレラいちご」のシフォンケーキは人気の一品。「夜も気軽に」と昼と夜は同じメニュー。コース1260円~。

 

spot04

水戸市森林公園 [周辺のおすすめ観光スポット!]

北西部の里山の雄大な自然を満喫!
「森のシェーブル館」がある水戸市森林公園は、市北西部の豊かな里山の自然を生かした広大な公園。園内には、「森のシェーブル館」のほか、そば打ち体験などができる「森の交流センター」、白亜紀の巨大恐竜や新生代のマンモスなど実物大恐竜模型14体が設置される「恐竜広場」、ヤギを間近に見られる「ふれあい牧場」などがあり、自然に関連したさまざまなイベントも開催される。

 

shop16

農場レストラン 農の詩

農業栄養専門学校が運営するレストラン
採れたての野菜をふんだんに盛り込んだ料理が食べ放題のバイキングレストラン。食材は、鯉淵学園の農場で生産される農産物や畜産物。土づくりを基本に、化学肥料や農薬を極力抑えて栽培する「環境保全型農産物」だ。料理は、パスタ、ピザ、惣菜、サラダ、パン、デザートなど20~30種類。大人1180円、小学生780円、3歳~就学前500円、3歳未満無料。隣接の直売所で野菜などを販売。

(文…海藤和恵 │ 写真…大谷健二)

目次へ戻る

水戸市関連サイト・SNS

もっともっと水戸のことを知りたくなったら、こちらへどうぞ。
さまざまなかたちで水戸の魅力を日々発信しています!

 

目次へ戻る

水戸のやさい・くだもの
収穫カレンダー

水戸で採れるおもな野菜と果物の収穫時期を表にしました。旬の味わいは格別です! ぜひおいしい水戸の野菜・果物を味わってください。

 

p51

目次へ戻る

編集後記

水戸の風土の豊かさ、そして、そこに関わる人たち一人ひとりの想いを、より多くの人に伝えたい。これが、今回のテーマ「やさい・くだもの」の制作に取り組んだときの気持ちです。そして、取材を通して、この気持ちは一層強くなったのです。そんな「ミトノート」第2号、みなさんの心に届きますように。

 

ミトノート 第2号
発行日
平成26年2月
発行者
水戸市 みとの魅力発信課
編集・デザイン
有限会社平井情報デザイン室

目次へ戻る